Gum

2章「グリーンガム」

3節「疲労の末に後悔」


疲労困憊だった私もようやく落ち着くことができた。

隣の席に座っていた鈴木舞がビール瓶を持って職場の連中に注ぎに回っているからだ。
この無駄な歓迎会も残すところあと30〜40分程度で終了だろう。

今晩は家に帰っても風呂に入って寝るだけかな。

まぁ、人生の全てを有意義な時間として使う事なんてできやしないのだから、
今日はしょうがないと言えばしょうがない。

私はそんなことを考えながら頬杖をついて、ぼんやりとしていた。

「すみませ〜ん」

同じく新入生の宮永里奈が瓶ビール片手に私にビールを注ぎに来た。

「吉野さん、よろしくお願いしま〜す」

どうやら違うところで飲まされたのか宮永里奈は酔っているようだ。

「どうも」

私は疲れていたので早く宮永里奈がどこか違うところにお酌をしに行ってくれないかと思ったが、
残念なことにどうやら私が最後のようだった。

「吉野さん、飲んでますか?」

「あ、あぁ飲んでいるよ」

「色々とよろしくお願いしますね」

「あ、あぁ・・・」

最初に同じ話を聞いたじゃないか。

「まだまだ、わからないことも多いのでご迷惑をかけると思いますが・・・」

しつこい。

まるで面接のマニュアル本を読みながら練習している学生を見ているようで、
私は軽い苛立ちを憶えた。

「もう、自分の席に戻っていいよ」

私は苛立ちを抑えきれずに宮永里奈に冷たく言った。

「はい、じゃあ今後ともよろしくお願いします」

「しつこい」

言ってから後悔したが完全に後の祭りだった。
宮永里奈は半分泣きそうになってしまったのだ。

私の頭は完全に混乱した。

半分泣きそうな姿を誰かに見られていないだろうか?
私が抑えきれずに言ってしまった一言を誰かに聞かれていないだろうか?
どう宮永里奈に謝れば良いのだろうか?

疲労のせいで瞬時に適確な答えがでてこない。

幸い宮永里奈は小声で「すみませんでした」と言っただけで席に戻ったので、
目立つこともなく誰にも気付かれていないようだった。

私は少し安心した。

行動の選択枠が宮永里奈に謝れば良いだけになったからだ。
もちろんどう謝ればよいのかはわからないが今はどうすることもできない。
幸いなことに今日は金曜日で明日・明後日は仕事も休みだ。
その間に考えれば良い答えがでるだろうし、
時間をおくことで宮永里奈も今日の出来事の印象は薄くなるはずだ・・・・・

そんなことを考えている間に歓迎会はお開きになった。

いつも2次会は行われないので私はこれで完全に自由の身だ。

ところがここで信じられないことが起こった。

私の隣に座っていた鈴木舞がこそっと私の所に来てこう言ったのだ。

『吉野さん、あんまり気にすることないと思いますよ』

見られていたのだ!

狼狽しそうになるのを鈴木舞に隠して、
私はポケットのガムを探した。

だが、ガムは見つからない。 食べ尽くしてしまったのだ。

「私ので良かったらどうぞ」

鈴木舞は私にグリーンガムを差し出した。

「あ、ありがとう」

「それじゃあ、お疲れ様でした」

「あ。あぁ気を付けて」

私は鈴木舞に貰ったグリーンガムを噛む。
生ぬるい風が吹いている。

久しぶりに噛んだグリーンガムはやけに甘く感じた。