シガレットチョコ

2章「いつだってそうさ」


僕はいつもと同じように黒いジャケットを着て帽子を目深にかぶり、
ポケットにi-podを入れて家を出た。

僕の家から最寄りの駅まで10分。
そこから「彼女」の住んでいる街まで30分。
そして駅から「彼女」の部屋まで15分のだいたい片道1時間。

くるくるとタッチホイールを指でなぞってディランを選んでプレイボタンを押した。
好きな場所で好きな曲を聴けるものができるなんて数年前まで想像もつかなかった。

両耳からディランの歌声が聞こえてくる。
その歌声は駅の雑音を消してはくれないがとても優しい歌声だった。

僕は後ろに流れていく窓からの景色を子供のように見ている。

つい何ヶ月か前まではこの景色をあたりまえのように見てたのにな。
後悔はしていないけど。

僕は「彼女」のことを頭の中でぐるぐると記憶を引っ張り出しながら考えていた。
僕の頭の中は記憶を引っ張り出そうと忙しく動いているが、ディランはいつも通りにのんびりと歌っている。

「いつだってそうさ。」

実際は言ってないけど僕は小さな声でそう言った気がしたんだ。

まず僕は最初に「彼女」の顔を思い出してみる。

ぱっちりとした目やちょっと茶色い髪・・・

考えないと思い出せないくらい忘れている。
だけど思い出した「彼女」の顔は笑ってはいなくて、ちょっと悲しそうな表情をしていた。
僕は「彼女」の顔を頭の中から消した。

「彼女」と一緒にいて楽しかったことって何だったんだろう?

2人でいつものレコード屋に行ったこと。
「彼女」の家で大きな苺を食べたこと。
夜に近くの公園で花火をしたこと。

もう少し時間をかけて考えたらもっと浮かんでくるかもしれないが、
その時々の「彼女」の顔も悲しそうな表情をしていそうで怖くって考えるのをやめた。

いつも不安だった。
そして、その不安がまた蘇ってきた。

「彼女」は僕といて本当に楽しかったのかな?

そんなことばかり考えるようになっていって僕は「彼女」に別れを告げずに距離をおいたけど、
「彼女」はこんな僕をどう思っているのだろう?

不安の波に溺れそうになって僕は「彼女」のことを考えるのをやめて僕はi-podの停止ボタンを押した。

もうすぐ「彼女」の住んでいる街の駅に着く。
僕は目を閉じた。

駅に着くと天気雨が降っていた。

駅の中で時計を見るとまだちょっと約束の時間まで早かったのと雨宿りを兼ねて、
近くの小さな喫茶店に立ち寄ることにした。

そこは昔から在ると思われるお店でジャズが喫茶店らしからぬ大音量でかかっていて僕は好きだ。
「彼女」ともここに来たことがあったが、「彼女」はあまりここが気に入らなかったので
僕はよく「彼女」の部屋からの帰りに一人で立ち寄ったものだ。

ドアを開けると相変わらず大音量でジャズが流れている。
お客さんは僕だけでいつも一人で座っていた角の席が空いていたので迷わずそこに座りコーヒーを注文した。
ちょっぴり雨で濡れた煙草に火を付けてコーヒーを待っていると何だか「彼女」に会いに行くのも面倒になってしまいそうになる。

前にもこんなことってあったような気がする。
僕は自分が傷つかないためにいろんなことから逃げていただけなのだろうか。
ときどきそんな自分が嫌いになる。

雨が上がって薄い虹が見えた。

このコーヒーを飲み終えたら会いに行こう。