私はミルフィーユ

(プロローグ〜女は女で居続けたい!)


左手のFolliFollieの腕時計が午後2時になったことを私に教えている。

私は汗をかかない程度に地下鉄の階段を駆け上がった。

柔らかい日差しが辺りを包んでいる。

最近お気に入りのポーターのトートバックを右肩にかけて、
私は急ぎ足でいつもの道を歩きだした。

私は幼稚園に子供を迎えに行くのだ。

土日以外は毎日通っている道なのだが、
火曜日だけはやらなくてはならないことがあるのだ。

「頭を切り換える」作業だ。

私は誰よりも優しい母親。
満面の笑顔。
私は誰よりも料理が上手な母親。
温かい家庭。
私は誰よりも幸せな妻。
癒される空間とそのオブジェ。

私の名前は「吉田早苗」・・・・・

私のイメージは正確で細かいタッチだって描ける。

もちろんそれは絵の話じゃなくてイメージの話。

描いたイメージを正確になぞる事が出来れば、
現実もその通りになるはずなのだ。

早足で歩きながらイメージを整える。

<私は・・・・・私は・・・・・>

私は19歳の時に、今はもう潰れてしまったライブハウスで出会った5つ年上の男と結婚した。
今ではもうその面影すらないが、将来の事や夢を語る目が好きだったのだ。

そして、付き合い始めてすぐに子供ができた。

今まで私がいた「青春」ってモノや「恋愛」ってモノが完全に終わった瞬間だった。
もちろん子供は可愛いし愛している。
それは紛れもない事実だがそれ以上に「生活」が退屈なのも事実だ。

妻と母親になるということは「女」を捨てることに他ならない。

「女」を捨てて完全に「生活」に溶け込むことが出来るならば、
退屈だと思わずにすんだのかもしれない。

私もそう思って「生活」に必死で溶け込もうとしたが無理だった。

だから私は「生活」に溶け込んだふりを何年もしている。

料理、裁縫が得意で誰よりも気の利く妻。
誰よりも優しくて頼りがいのある母親。

演じている一方で「女」で居続けたい私。

そんな私には旦那とは別に2年くらい付き合っている「彼」がいる。

「彼」は私の5つ年下で20歳になる。
旦那・私・「彼」と丁度5歳ずつ離れているのだ。

私は毎週火曜日に「彼」と会うという行為をもう2年も続けている。

この角を曲がればもう幼稚園だ。

私は立ち止まって大きく息を吸い込んだ。

柔らかい日差しが辺りを包んでいる。