恋は八つ橋

3章「私はゼンマイ式」


会場は満席ではなかったが八割方埋まっていてまずまずの入りだった。

私はいつもの紫色の着物に着替えて出番を待った。
毎回ながら着替えて自分の出番を待っているこの時間が苦手だ。

この緊張感が心地よいなんて人もいるが私には苦痛でしかない。
ウケなかったらどうしようなどと若手のように悪いことばかりを想像してしまう。

そうこうしているうちに係の者がやって来た。
「伊佐坂師匠、お願いします。」

ここでロックミュージシャンなら円陣でも組んでハイタッチなどするのかもしれないが、
私は<伊佐坂門戸>であって若者に人気のロックミュージシャンでは残念ながらないので
「わかりました」といつものように静かに答えるだけだ。

だが私の心の中だって闘志の炎が燃えている。

ただそれは炎と呼べるほど勢いよく燃えておらず鼻息だけでも消えてしまいそうなロウソクの火程度のものだが・・・

その消えそうな火を消さないかのように私はゆっくりとステージに向かった。

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どうもどうも、しばらくぶりでございます。
わたくしは伊佐坂門戸、流浪の恋愛伝道師でやんす。

伝道師と言っても電動式じゃございませんので、
度々話がつっかえることがございますがその時はゼンマイ式だと思ってご勘弁を。

ここは京都、京の都でございます。

歴史あるお寺もたくさんございますが、
私なんぞにゃ高貴な寺よりも口に入るモノの方がようございまして、
どうしても京都と言えば「八つ橋」を思い出してしまいます。

そこで今日は『恋は八つ橋』という演目を演らせていただこうと思っております。
お手元のパンフレットには私の演目名のところに『白友梨クリニック』と書いてありますが、
なにせ私はゼンマイ式なのでどうにもこうにも予定通りにいかないものなのであしからず。

『白友梨クリニック』がどうしても聞きたかったというお客さんは、
来週新潟の方で私の単独公演がございますのでそちらの方まで来て下さいな。
あ、もちろんチケットのお金は頂きますよ。

さてさて、では伊佐坂門戸による『恋は八つ橋』どうぞ最後までお楽しみ下さいな。

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